淡く透明に輝く。
「羅針盤」と呼ばれた…その宝石は
あの日に決めた「誓い」の証



夕食の食材を仕入れ、家に続く長い石段を登る。
足に馴染んだ道のり、変らない景色。
変化に乏しい狭い島での…変らない日常は、巡らせた視線の先に佇む人物を見つけた瞬間に変ってしまう。
色素の薄い茶色い髪。
細める瞳は、ただぼんやりと…色を変え始めた空と海に向けられていた。
それは自分にとっても幼馴染と呼べる相手。
けれど、暫く島から出ていて…不在の筈の人物だった。


「…総士」
思わず声に出してしまった事を悔やんだが、出してしまったものは消せない。
せめて相手がその声に気付かなければ良いのに。
と、願ったが…己の声に反応して振り返る体に、それは希望でしか無いと理解する。


「一騎。今…帰りかい?」


体に合わせて揺れる長い髪。
口元の笑みは柔らかで、だからこそ…ある一点に目をやらないように視線を泳がせてしまう自分が哀れだと思った。


「ああ…総士は。何時帰ったんだ?」
揺れる視線に相手が気付かない訳が無いのに、言い訳がましく話題をそらす。
それすら見透かされていても…一騎にはそうするしか道は無い。
「今さっきだよ」
「暫く居るのか?」

彼の左目に走るのは、一騎がつけてしまった赤い傷。

消す事の出来ない罪の証は鎖となって…。
結果、地面に影を縫いとめられたかのように動けぬ一騎の横に、けれど総士は何でも無い事のように近づく。
「…そうだね。1ヶ月くらいかな」
そしたら、また暫く島を出るよ。
ふわりと、横で相手が動く気配がする。
「……そう」
短い会話。
その後訪れた沈黙は、息苦しいものだった。


赤く染まっていた空と海は既に蒼さを取り戻し。
一騎はただ過ぎていく、この気まずい沈黙から逃げ出そうと思案を巡らす。
「総士…。」
 俺、夕飯を作らないといけないから…」
意を決し、そう言いおいて帰ろうと。
先ほどから逸らしたままの視線を、隣に立つ幼馴染に動かす。
島に帰ってきてから、まだ家に帰っていないのだろうか…。
良く見れば、足元に置かれた大きなバッグに、肩にかけられたままのカバン。
未だ入り江に向けられた瞳の色の濃さに驚いて。
思わず下げた一騎の視線の先にあるのは、何かを強く握り締めたままの総士の拳。
手におさめるのは少々大きなソレは…。



「……ああ…」
かけられた声に、沈んだ思考が引き戻される。
辺りは既に濃く染まり、大分時間が過ぎてしまっている事に気付いた。
そういえば一騎は白い袋を持っていて、これからの時間は夕食の時間で…。
「悪い…引き止めた」
慌てて困ったように笑ってみせるが相手の反応は無い。
「一騎?」
確認するように声をかけても黙ったまま。
その視線の先には、自分の手の中身があって。
一騎が気にしてくれている。それだけで嬉しく感じる自分に総士は苦笑をもらす。
「気になる?」
笑って相手の顔を覗き込めば、しまったとばかりに小さく揺れる瞳。
「別に…」
そんな筈は無いのに、まるで関心は無かったと言わんばかりの…彼の口癖に総士は小さく微笑み。
わざと中が見えるように小箱を開ける。
小さな箱、その中心に仰々しくおさめられているのは…。





「ピア…ス…?」




「綺麗だろ」
意外だ。とばかりの一騎の声音に心の中で満足しつつ、声の意味する所とは違う言葉を返す。
その小さな金属を手に取り、嵌め込まれた小さな宝石を見せる。
金属の先にあるのは、優しく滲んだ透明感溢れる青。
くるり…と、総士の手の上で回されれば。その色は消えてただ透明な結晶になった。
「アイオライトって言う宝石でね。見る角度で色が変るんだよ」
ほら。と、先ほどと逆に回された石は…再び淡く澄んだ青色を取り戻す。
「誰かにやるのか?」
総士の親しくするような相手に、ピアスなどつけている人物がいただろうか。
そんな疑問が、思わず声になる。
「……気になる?」
「…別に」
先ほどと同じ言葉で繰り返される質問に、思わず何時も通り答えて。
それでも妙に嬉しそうな総士の顔が気に入らなくて、なんだよ。とばかりに視線を送る。


「残念だけど。これは僕のだよ」
一騎の拗ねたような態度に。
からかう色を含んだまま総士は続ける。




「本当は一個で良かったんだけど…。
 バラでは売ってくれないって言うからセットなんだけどな」
余ってるから、一騎にやろうか?
くすくすと、手にしたままの片割れを差し出され…。
「…どうすんだよ。そんなもの貰って…」
総士の手に乗せられたままの銀と青。
決して大きくは無いけれど、その輝きは美しく…高価そうに見える。
「だいたい…こんなトコでそんなもの。
 不良って言われるぞ。校長の息子のクセに…」
涯上から一望できるくらい狭いこの島は、そういう時に閉鎖的だ。
「それは言えてるかもしれないな」
こそこそと言い合う声がきこえるようで、総士は「困ったな」と呟く。
「だけど気に入ってしまったから」
言外にしょうがないと告げて、意外だと言わんばかりの表情の一騎に向き合う。
「宝石には人間がつけた意味があってね。
 この石にも勿論ある…。」
一騎は知ってる?と、微笑まれて、一騎は「いや」と、首を振った。

「そういうのには興味無い」
「普通はそうだろうね」
確かに、世間一般でも女の子ならともかく、男である自分達はそういったものに興味はあまり無いのが普通で。

「僕も無かったんだけど。
 読んでいた本に出て来て…それで気になって…ね」
だから手に入れたのだ。と、暗に示され。
「どういう意味なんだ」
そんなに気になる事だったのだろうか。
誰にでも対等に接する相手の、そんな言葉に驚いて、つい大きくなる声。
「そんなにおかしいかな」
そんな一騎の反応に、むしろ遺憾だと言わんばかりに目を見開いてみせて、総士は笑う。





「アイオライトと言う名前はね…ギリシャ語から来ていて、
 『アイオ』は青、『ライト』は石を意味してる」
伏せられる瞳、切られる言葉。
「別名バイキングの羅針盤。
 『アイオライトのレンズを通して見ると。
太陽の正確な位置が決められ。
 新しい世界への安全な航海が出る』」




何度もそこを読んだのだろうか、すらすらと答える声音は淀みなく。
まるで教科書でも暗記でもしているようで。
「何で総士が羅針盤なんか必要なんだよ」
この…平穏で何も変らない島に住んでいる限り、そんなものは必要ないだろうに…。
当たり前の疑問に、総士の口が僅かに持ち上がる。
それはまるで自嘲の笑みのようで…。


見た事も無い暗い色を浮かべる瞳。


知らない人間のように、無表情な顔。
ぞくり…と、背中をかけあがる得体の知れないモノに一騎は喉をならす。

「僕にとっては、この島が海賊船みたいなものだからね」
長い沈黙を破った言葉。
その意味をはかりかねた一騎が視線を巡らせれば…何時の間にか隣ではなく。階段をかけあがる総士の姿があった。
沈んでしまった日の光。
暗く深い青の中で、長い前髪に隠された表情は読めなくて。
僅かに端が歪んだ口元は相変わらず笑みの形のまま。
けれど、先ほどとは違い、まるで泣いているように感じてしまったのは何故なのか。
「そ…」
「じゃあ。帰るよ」
一騎も気をつけて。
総士。と、呼びかけようとする声を遮るように、言い置いて。
走りさった後ろ姿は…あまりにも綺麗で、記憶の中から消える事はなかった。



謎かけのような言葉と笑顔。
その言葉の意味を知ったのは…この平和が偽りだと知った後。















 無機質に続く広い廊下。
アルヴィスの中は、必要最低限の装飾しか施されていなくて…冷たい印象を与える。
基地なのだから当たり前なのだが、その寒々しさが一騎は苦手だった。
まるで、世界に自分ひとりしか居ない感覚に襲われるから。
早く抜け出してしまいたい…。
足早に抜けようとする先、交差した通路から聞こえる靴音。
自分以外の気配にほっとしたのも束の間、間違え様も無い気配に体を硬くする。
「一騎。明日のシュミレーションは1時からだ」
カツリ。と、
硬い靴音を響かせ、角から現れた総士は事務的に告げ、踵をかえす。
体に合わせて長い髪が揺れて…その耳に光るものを見つけた時、一騎は「ああ」と思った。



『アイオライトのレンズを通して見ると。
太陽の正確な位置が決められ。
 新しい世界への安全な航海が出る』



あの日から変ってしまった、平和な世界。
だれにでも公平に接する…彼。
いや、違う。
総士は一人真実をかかえたまま「偽りの平和」の世界で演じつづけていたのだ。
偽りの平和の中、聞いた言葉の意味。
あの日見せた表情こそ、きっと彼の真実。
それに気付けなかった。
そんな自分が何故か悲しくて…。


「総士」
呟くように名前を呼ぶ。
「…なんだ…」
聞き取れないくらい。小さな呼び声。
それでも総士は立ち止まる。
「あの時貰いそこねた。
 それ…くれないか」
一瞬の逡巡の後、震える声を抑えて告げる。
あの時…知らず断ったものを、もう一度欲するなどおこがましいとさえ思える。
ましてや、自分は総士に何かを求められるような立場ではなくて。

それでも…。

「部屋にあるから…ついて来い」
背中を見せたまま告げる声に、安堵の息を吐く。
あの日、自分にだけ向けられた本音を。その想いを…受け止めたかった。
昔と同じ…既に遅いと…解って居ても。




まさかここで生活しているのだろうか…そう思わせる部分が多少みえる以外は、何も無い部屋。
整頓された事務的な部屋に据えられた、大きなデスクの引出しを開け。
「ほら」
手に平に渡される、小さな金属。
あの日と変らぬその装飾具は、けれど人工的な照明の下で紫にも見える…その宝石。
「ありがとう」
渡されたソレをぎゅっと、握りしめ形ばかりの礼をのべる。
「じゃあ…俺帰る」
「待て。一騎」
簡潔にそれだけ言うと、部屋から出ようとするが…その前にそう、引き止められる。
「何?」
もう、総士には用事は無いだろうと思っていただけに、引き止められた事に驚いて…振り返る。
「冷やしておけ」
そして渡される透明なビニール袋に入った氷。
「そのまま開けるつもりだっただろう」
呆れたような声に、無言のまま視線だけを動かす。
そんな一騎の様子を肯定と受け止め。自分の懸念が確かだった事に総士は呆れる。
「そんな事をしたら、痛いだろう?」
まったく。と、溜息をついて戸棚から何かを取り出す姿。
その後姿に「痛くて良いんだ」と、一騎は声を出さすに呟く。
そう、痛くて良い。
痛ければ痛いほど、この勝手な想いを忘れないでいられるから。
だから。
「僕が開けてやる。
 ほら、それをよこせ…」
「…え?」
続けられた言葉に絶望すら感じてしまう。
「どうせ、僕が居なくなったら。一騎はまた無茶なあけ方するんだろう?」
だったら開けてやる。
言外にそう、告げて奪われるピアス。
全てお見通しなら、放っておいてくれても良いのに。
音にならぬ抗議の声は、さらりと流されて。

「やるぞ」
手にした小さな機械を一騎の耳たぶにあてて、総士は感情の篭らない声で呟く。
直後。
「…ッ!」
小さな金属音とともに走る、小さな痛み。
冷やされて鈍った感覚ですら解るソレは、総士に開けてもらう…と、言う事で多少形は違ってしまったけれど。
それでも一騎の決めた「誓い」の証。
「暫く、痛いかも知れないな」
ちゃんと冷やすんだぞ。
と、もう一度氷を差し出され…。
けれど、それは一騎が受け取る前に止められる。
うろんげに逸らした視線を定めれば。
触れてしまいそうな程、そばにある、総士の…顔。
強く。自分を見据える瞳の色に吸い込まれ、動けなる。
吐息すら感じる、その距離に驚いたまま目を見開いた一騎をそのままに。

次の瞬間。
戻りかけた感覚は熱を伝えて。
痛みでは無い、その暖かい湿った感触に一騎は身を震わせる。

「消毒だ」
薄く微笑む。その顔は綺麗で…、でも瞳の色はわずかに揺れているような気がして。
総士の意図を諮りかねて、一騎は困惑する。
久々に直視できた総士の顔。
昔は大好きだった顔を見る事ができなくなったのは、子どもの頃遊んでいた時にケガをさせてしまったから。
流れる赤に驚いて…痛いと泣く、彼を置き去りにした逃げた愚かな自分。
罪の証は赤いキズとともに、視力のほとんど失われた左眼に永遠に刻まれたままで…。
その罪の証に耐えられず。
思わず逸らそうとした視線は、ふいに立ち上がった総士の行動に意味を失う。

「明日の訓練は1時からだ。遅れるなよ」

何も無かったかのように、淡々と告げる冷たい声。
「ああ。解ってる」
先ほど感じた困惑は、立ち上がる総士とともに消えた熱とともに、一瞬のうちに消え去って…。
同じように、普段と変らぬ声で一騎も答えた。




そう。
この痛みは勝手な「誓い」
総士があの事故をとっくに許している事なんて知ってる。
それでも、一騎が許せないのは自分自身なのだ。
だから、誓う。
道を進む総士の、傍で力になれれば良いと。
そう思いながら一騎は消えゆく背中を見つめた。







互いの思いは、伝えられず。

確かに同じ筈なのにすれ違ったままで…。

それでも隣に居られるのなら、それでも良いから。





夏コミコピーより再録。
互いに想い合っているのに、言葉にしないが為にすれ違う二人。
そんな総一が理想です。が、暗い…?(苦笑)
2004.08.13発行⇒2004.11.28UP


Attention!

禁無断転載・複製。

このページにある全ての画像、文章の他サイトへの無断での転載、複製は御遠慮下さい。

Don't copy the pictures and documents on these webpages without master's notice.