目に見えるものだけが全てとは限らない



「一体どういうつもりなのですか」


出て行くリウの背中を見つめていたヤンの視線が、声の主に戻る。

声の主、それはキツイ眼差しでヤンを見据えているレン・リィンだった。
両手で握り締めた杖が、小刻みに震えている。

「リウ・シエン・・・いえ長の線刻の力を解放させるなんて! 書の力を引き出すということは、
持つ者の命を削るということです。貴方は見たはず・・・わかっていた筈です!!」


ヤンは、視線だけではなく体ごとレン・リィンに向きなおった。
そしてひとつ、呼吸するように瞬きをする。

「あぁ、わかってた」

その銀の瞳に静けさが満ちていく。

「また、リウに無理させちまうなって。けどリウしかできねぇって思ったから、
わかってて、無理させた」

パンッ
乾いた音が広間に響いた。

「おっおい」

広間に残っていたロベルトが体を浮かせるが、その体をマリカが手で遮って止める。
振り返るロベルトに向かって、マリカは軽く首を振った。

当のヤンは、張られた頬に触れることもせず、射るような眼差しを受け止めていた。

「貴方はリウ・シエンをも殺す気ですか!?」

じわり、と頬を打ったレン・リィンの目尻には涙が浮かんでいる。

「リウ・シエンは万能だとでも!?貴方はラオ・クアン様だけでなくリウ・シエンまで」
「やめないか。レン・リィン」

ルオ・タウが再び振り上げられようとした手を掴んで止めた。

「あの場面では仕方のないことだ」
「けどっ」
「きっと彼が言わなくても、リウ・シエンは同じ行動を取っていたはずだ。違うか?」
「・・・」

更に言い募ろうとした唇は、その言葉を紡ぎかけて止まる。

「知っているだろう?レン・リィン、君ならば」

重ねられた言葉に、翡翠の傍で滲んでいた涙が雫となり頬を伝った。
レン・リィンはその表情を隠すように俯くと、振り払うようにヤンに背を向け、そのまま広間から外へ
走り去ってしまった 。

ルオ・タウはその後姿を見送らずに、今度はヤンを視線だけで眺め下ろした。

「私たちが全身に刺青を施す、その"本来"の意味をご存知か?」

抑揚の無い声は、いつもより・・・いや明らかに冷たく、広間に響く。

「この刺青は書を受け継いだ長を守るため・・・誰が継承しているのか、外部の人間に解らないようにする為だ。
いざとなれば皆がその身代わりとなる。長になった瞬間から、その体はひとりだけのものではない。
この団にとっての貴方と同じということだ。その事だけは覚えておいてくれ」

それだけ言い残すと、ルオ・タウも踵を返し広間を出ていった。



「平気か」

しん、とした広間で最初に口を開いたのは、ジェイルだった。
手の甲をヤンの頬に当てる。

「熱を持ってるな。冷やすか」
「ん。いや、いい」

ヤンはジェイルの手から離れると、さんきゅーな、と小さく笑う。
すると、今までマリカに止められ口をつぐんでいたロベルトが、その間に割り込むようにして立ちふさがった。

「おいっお前っ!なんで何も言わなかったんだ!?」

ロベルトは戦闘メンバーとしてあの場にいた。
間近で見ていたから断言できる。
あの男が言った通り、あそこで最悪の事態にならず事を収めることができたのは、スクライブの持つ線刻の書だけだ。
誰が指揮官であっても、使うよう指示するはず。
逆に私情のために躊躇っていたならば、今頃自分達だけではない・・・どれだけの人々が犠牲となったのか
考えるだけでも寒気がする。そんな指揮官なら初めから必要ない。

怒り心頭、頭から湯気がでるんじゃないか、という様子のロベルトに、ヤンは頭をかいた。

「レン・リィンやルオ・タウが怒んのふつーだろ。リウはアイツらの長なんだし」
「じゃあ、あの男が何も言わなくても、そのまま黙って聞いてやるつもりだったっていうのか!?」
「オレがやったことだしな。あったりまえだろ?」

ヤンはそういうと、広間の向こう・・・自分の部屋がある方に目を向ける。

「どんだけ真っ当な理由っての重ねたって、リウを危険な目に会わせたって事実は変わんねぇし。
それにもし、オレがレン・リィンの立場なら・・・・・・同じこと言ってんじゃねぇかな」

遠くを見るように眼差しを細めていたヤンの、雰囲気が不意に変わる。


「・・・・・正しいことってさ、一体どんな形・・・してんだろーな」


ロベルトはゆっくりと、目を見張った。
そこにいる人間が、別人のように見えたからだ。

まるでそこにいる事自体が幻のような・・・。
しかし、その『幻』は、戻った表情と共に一瞬で消える。

「ま、心配してくれて、ありがとな」

鼻の下を擦りながら笑うヤンに、ロベルトは一瞬遅れて駆け上がった体温そのままに声を上げる。

「だっ、誰がお前の心配なんてするかっ!!」
「そうなのか?」
「あたりまえだっっ」


そんな二人のやり取りを、一歩引いて眺めるジェイルの隣に、マリカが歩み寄った。

「よく、がまんしたわね、ジェイル。ロベルトさんの声で我に返ったでしょ」
「・・・マリカもな」
「何回見ても慣れないのよねー。確かに言い訳すんの良くないって思うけど、ヤンの場合はちょっと違うから」


マリカは苦笑気味に微笑むと、そのまま眩しそうに二人の姿を見つめる。


「あんな風に、本当のヤンに・・・気づくひと。増えたらいーのにね」
「あぁ」

腕を組んだジェイルも口許に笑みを浮かべると、ひとつ頷いた。