ホリン
- 2006/01/01

祈りなはれ!!
2006年
首筋に鈍痛が走る。
(何所かにぶつけたっけかな)
浮上する意識の中。感じた覚えの無い鈍い痛みに、セッツァーは彷徨う己の意識をかき集めた。
ソファーで寝てしまった所為で寝違えたのだろうか?
自分の体の下。ふわりとした、しかし寝るには少々固めのソファーのような感触にふと考える。
(そうか…俺はファルコンを探して…)
他には存在しないと思っていた飛空挺。己の夢の結晶…最高の翼『ブラックジャック』だが、彼の所有するブラックジャック意外にも飛空挺が存在していた事を知った。
それも『世界最速』と言われる飛空挺が、だ。
その存在を知った時から、彼は…セッツァーは興味を持った。
世界最速と呼ばれる船に…それを操るダリルという存在に。同じ空を駆ける相手を見てみたかった。
(それから…)
そしてとうとう見つけたのだ。漆黒の翼とは対象の月光を弾き返す白亜の翼を。
「何時まで寝ているつもりだ」
突然耳に届いた呆れるような声音に、セッツァーは飛び起きるように跳ね起きた。
慌てて見上げれば、自分が寝かされているソファーの横。柔らかに光沢を持つ木目の机に腰掛け、優美にカップを傾ける…その姿。
「おかげ様で…目覚めが悪くてね」
わざとらしく首筋を押さえ、睨むように視線を送ってみせる。
先程までのまどろみから一瞬で覚醒した意識は、自分が今どんな状況にいるかを理解していた。
長い豊かな金髪を無造作に流した女…最速の飛空挺ファルコンの主…ダリル。
先程までの服とは異なり、男物のズボンに上着を着込こんだ船の主は、セッツァーの様子に「おや?」とばかりに目をすがめてみせた。
「それはそれは」
随分やわな体なんだな。口元に薄く笑みを浮かべ、さらりと切り返す相手にセッツァーは心底ため息をついた。
自尊心は有る。ましてや女相手に…そういう感情も有る。
しかし…しかしだ…
「かなわねえな」
世の中には認めたくなくても認めなくてはならない『現実』というものが有るのだ。
それを認めない限り先に勧めない事も。潔さも才能のうち。
「どうした?妙に諦めが早いじゃないか」
かすかに驚いたような色を見せるダリルの声に、彼は長い銀髪が乱れるのにも構わず片手で頭をかき回す。
「頑張っても勝てねえ相手には勝てねえよ…」
今は…な。ちゃっかりと語尾に挑戦の言葉を足して、吐き捨てる様に言い切ると、こともあろうに彼女は笑い出した。
心底おかしいとでも言うように。
本当にかなわない。
晴れ渡る空のように鮮やかに響く笑い声を聞きながら、セッツァーは視線をダリルからそらした。
その日からダリルとセッツァーは行動をともにする事が多くなった、ダリルの持っていた飛空挺の知識は彼にとって有意義なものばかりで有ったし。
ブラックジャックの乗組員にとっても、先に空に飛び出したファルコンの
船員の知識はありがいものであったのだ。
いつしかブラックジャックとファルコンは知らない者がいない程、有名になっていった…。
「確かに凄い知識だった。」
飛空挺についてなら知らない事はないんじゃないかと思うほど…それほどダリルは凄かったのだ。
「そして操舵も…」
男がすくむような場面でも、決して逃げたりはしない。それどころか嬉々として先に進んで行く…そんな所が有ったのだ。
後ろなど振り向かない…そんな強さ。
「とんでもないヤツに会ってしまった。最終的には…それが正直な感想だな」
手にもったグラスの中、申し訳程度に浮かぶ氷をくるりと回してから、セッツァーは残りの琥珀色の液体を飲み干した。
空になったグラスが部屋の明かりを鈍く映し出す。
目の前の少女の、保護者代りの相手に怒られそうな部分は出来るだけ省いたけれど…随分長い時間がたっていた。
にもかかわらず、目の前の少女は飽きた様子もなくじっと自分をみつめている。
自分を映し出す…鏡のようにきらめく瞳。
「……とんでもない?」
「無鉄砲。無謀の塊…危険なんかかえりみない…無茶苦茶なヤツだったからな」
唇に白い手を当て、言葉の意味を図りかねている相手の様子に、セッツァーはそう言葉を足してやる。
「船の軽量化は危険が伴う。一歩間違えば空中分解…そのままおだぶつだからな」
人間は空から落ちりゃあ死ぬもんだ。
ダリルがそうだったように。心の中で漏らしたセッツァーのつぶやきが聞こえたとでも言うように、ティナは少し悲しげに口の端に笑みを浮かべた。
空から落ちても、自ら望まない限り彼女は死ぬ事は無い…幻獣と人間の間に生まれた少女。
彼女は自らの魔力で空すらも自由に駆ける。
他人と違うことを悲しむ少女は、それが悲しいのだろう。
「俺はお前さんがうらやましいがね」
自分の力で空を飛べる。それは彼にとって、空を求めるものにとって永遠の憧れ…。
「私はイヤだった…みんなとは違う…この『力』…」
ふい。と、ティナは視線を外にうつす。
そんな彼女の動きにあわせ。部屋の明かりが、その青い瞳に長い睫の影を落とした。
「でも…すべてあわせて私だもの」
一瞬揺らめくように金色に色を変えた瞳は、また強い光を宿してセッツァーを見つめる。
出合ったばかりの頃ならば、声もなく泣き出しただろう相手の…静かな…けれど強い声にセッツァーは小さく微笑んだ。
つられたようにティナも微笑み返す。
「さて。そろそろ部屋に戻りな。
これ以上遅くなると、あいつらが煩いからな」
顔も声も良い上に人好きのする笑顔をうかべた、なかなか食えない性格の仲間を思い出し。
セッツァーはゆったりとしたソファーから腰を浮かせる。
「また話を聞かせてくれる?」
重い扉に手をかけてティナは、自分よりも背の高いセッツァーの瞳を覗き込む。セッツァーの瞳は夕焼けのような明るい紫で…。
その瞳にうつる色がティナは大好きだった。
「暇ならつきあってやるよ」
いいざまセッツァーはティナの頭に手を置くと、くしゃりと髪をかき混ぜる。
「セッツァーッ」
ぐしゃぐしゃになってしまった髪の毛を慌てて直しながら、ティナは怒ったように声をあげてみせた。
怒っていないのが解かるからだろう、セッツァーはもう一度髪をかきまぜようと手を上げる。そんなセッツァーにティナは逆に抱きつき…強く、強く腕に力をこめる。
「ティナ?」
「ふふ…おやすみなさい!!」
どうしたんだとセッツァーに問われる前に。まるで何も無かったかのように体を離して軽やかに廊下を走り去る。
「女は魔物とは言うがな…」
扉の前に残されたセッツァーは低く喉の奥で笑う。
自覚無ならば無邪気…自覚してやっているのなら魔性。
普段はくるくると表情を動かし。感情をあらわにする。その実,、肝心な所では何を考えているのか解からない存在。
きっと男には永遠に解からないのだろう。
そこに惹かれるのかも知れない。
ゆっくりと部屋に戻り…セッツァーは空になっていたグラスに琥珀の液体を注いだ。
来訪者が去った後の、奇妙な沈黙が部屋を満たす。普段は好んで身をおく静けさが今日はやけに重かった。
「そういや結局お前が何者かなんて…俺は知らなかったな」
何故帝国しか持ちえないはずの飛空挺を持っていたのか。
何故そこまで速く、ただひたすら速く空を駆けることにこだわってっていたのか…。
あの強さは…本当は何処からきていたのか…。
そんな事は当時は気にならなかったのだ。
ともに空を翔ける事の出来る存在…それだけでよかった。過去などどうでも良かった。
「お前は…本当は何がしたかったんだ?ダリル…?」
燃えるように輝く翡翠の瞳。見つめる視線のその先に何があったのか。
自分は親友と呼んだ相手の過去を知らない。何を求め何を信じていたのか…本当の所は何も知らないのだ。
あの時も…そうだったように。


何故か解らなかった…。
あえて言えば直感というモノが働いたとしか言えない。
セッツァーが部屋から出る為に扉に手をかけようとした、その時。
無意識に体は横に飛び………。
見上げれば、先程までセッツァーが立っていた場所に何かが突き刺さっていた。
「な………」
視線の先にうつる物は、細かな装飾と宝石をあしらった柄。曇りの無い銀色の煌き…。
ギャンブラーの彼にとっては見慣れたそれは、ゲームに使う為だけに造られた。しかし実用性も兼ね備えた投げナイフだった。
「お前…」
ナイフは確実にセッツァーの首を狙って投げられたもので…。
避けられなければ命を落とさないにしても、かなり危なかっただろう事は容易に想像できる。これを投げた相手は相当な腕前だという事も…。
一瞬の間に誰かが入ってきた様子は、感じられなかった。
ならばセッツァーの背後には、無力である…と、彼が勝手に決めつけた女が一人いるだけ。
「何のつもりだ?」
睨みつけるように振り返った先には、薄物の上掛けを巻きつけた女が悠然と立っていた。彼がソファーの上に投げだした…美しい。しかし弱い女、のはずであった。
しかし、セッツァーの目に飛び込んできたのは……、
「女だからといって甘く見るとは抜けてる」
くくっ、とその女は喉を鳴らした。
嘲笑うように告げる声は笑いを含んだ低く…けれどよく通る声。
髪の色が違うわけでも、瞳の色が変わった訳でも無い。それなのに、セッツァーが怯えていると思った。
消えそうな、気の弱い女は消えうせ…変わりに存在するのは、緑の瞳に冷ややかな光を宿した女。
浮かべる表情が違う。話し方も違う。
だが、何よりも先程と圧倒的に違うのは、別人だと思わせるのは…身にまとうその雰囲気の違い。
小さな窓から、僅かに漏れる刺すような月光に照らされているというのに、目の前の相手から受ける印象は鮮やかな深紅の炎のようだった。
「それで良く今まで生き延びて来たものだ」
賭け事師だというのに。
とっさに押し殺して見せたのは感心できるが、それでも僅かな動揺を隠し切れない相手に女は笑う。
紫の瞳には僅かに揺れ…いま何が起こっているか必死に考えているのが見て取れた。
そう、自分が対峙している銀の髪の男は…世間にもまれて来たとはいえ、まだ若いのだ。一見冷ややかに見える目の前の相手が、一体どんな手を使ってこの場を乗り切るのか…。
彼女は挑発するように、更に笑みを深くする。
「さあどうする?…逃げるか?私を倒すか?」
巻きつけた布を剥がしながら、女は静かに問いかける。無造作に下ろすその手には、抜け目無く数本のナイフが握られていた。
(完全に読みが甘かった)
見てくれに騙されて、脅しておけば黙っているだろう…そう思ったのは間違いだったのだ。
セッツァーは正面で薄く微笑む相手から視線を外さず舌打ちした。
やはり…ファルコンの一番奥に有った、この部屋は。最初の読みの通りファルコンの主たる船乗りのモノだったのだ。
つまり、目の前の女こそがダリル…。
ようやくたどり着いた答えに、相手に向けた視線を更に険しくする。この女がダリルだというなら…自分はまんまと罠にかけられた事になる。
「嫌な演技をしてくれるもんだ」
「名演技だったろう?」
搾り出すような悔しそうな呟きに、返事とばかりにダリルの豪快な笑い声があたりに響く。
遊ばれているとしか思えない相手の態度に、セッツァーは心底油断した自分の迂闊さに腹を立てた。しかし後悔しても、現在置かれている状況が変わる訳がない……ここから脱出する手段を考えるしか無い。
「さあ…どうする?」
逃げるか…だがどうやって。視線は薄く微笑んだままのダリルから外さず、セッツァーはぎり…と唇を噛んだ。
自分の腕前に自信が無いわけでは無い。今までにも賭博場の用心棒相手に渡りあい、生き残って来たのだ…自分に相当な腕がある事は彼は知っていた。
しかし今回は相手が悪い。この…セッツァーの前に立ちはだかる、ダリルの腕は自分より遥かに上なのだ。
このまま切りあえば確実に負けるのは解っていた。
「どうした?反撃もできないのか?」
「なっ……」
全く気にしていなかった背後から聞こえた声に、セッツァーは言葉を失い…自らの背筋が泡立つのを感じた。
…まさしく一瞬。
セッツァーが思考を巡らせている間に、彼の前にいたはずのダリルは、隙をついて背後に回りこんだのだ。
反撃する為に振り向こうとする彼の動きは、首筋に当てられた冷たい感触にさえぎられる。
僅かな躊躇の間にセッツァーの首筋にはナイフが当てられていた。
「この状況で考え事か?」
それにしては、決断を出すのが遅いんじゃないか?呆れたような声が聞こえるのと、後頭部に鈍い衝撃が走ったのはほぼ同時。
薄れていく意識に従い倒れていく体…その傾いていく視界の端に、セッツァーは自分を見下ろしながら笑うその女を…睨みつける。
「……油断大敵だよ。ボウヤ?」
笑いを含んだ、しかし諭すような響きの呟き。
だが、床に倒れた銀髪の男の耳にその声は届いてはいなかった……。

