第3話 邂逅



コーリンゲンの村の先にある切り立った岬。
まさしく断崖絶壁と呼ぶのにふさわしいその崖の下…冷ややかな月光の波しぶきを受け、それは存在した。
月夜に浮かび上がる純白の飛空挺。
さながら一枚の絵画の様な光景は、見るものを魅了する力を宿す。

「すげえ…」

捜し求めた存在を目の当たりにして彼は背筋がぞくりとするのを感じた。
それは命をかけたギャンブルをしている時の高揚感と似ていて…明らかに違うもの。
例えるなら初めて…切りつける様な風の中、雲間から覗く町を大地を見た時の様な感覚で、セッツァーは眩しい物を見るかのように目を細める。
月明かりの中に浮かび上がる白い巨大な飛空挺の名は『ファルコン』
ダリルという名の船乗りが所有するというソレは、彼…セッツァーが所有する黒い優美な外観の『ブラックジャック』とは対照的な代物だった。
(ファルコンは高速飛行を重視したスピード型の飛空挺なのか・・・?)
見惚れたとは言え、思わず口を開けたままの馬鹿ヅラで見上げる自分に気付き…彼は苦笑する。
自分とは全く違う主観の元で作り上げられた船。
月明かりを弾き闇に浮かび上がっているように見えるのは、船体が白い艶やかなパネルを隙間無く張り込んで作られている為。
おそらくそれは風の抵抗を限界まで無くす為なのだろう。と、セッツァーは推測した。
 船体そのものも無駄を限界まで削り込んだ結果だろうか。流れるような流線型をした船体は、刺す様に冷たい月光を浴びて、さながら銀の剣の様に闇に浮かび上がる。
それに・・・。と、彼は小さく呟く。
空の上は気流が入り乱れている。時に横から下から襲いかかる暴風の中、高速で飛ぶ飛空挺を制御するのは困難極まりない。
それなのファルコンは高速で飛行する事こそを目的に改装されているのだ。
一体どんな奴がこの飛空挺「ファルコン」を操縦しているというのか。酒場で感じた微かな嫉妬は何処かに消え今の彼が感じるのは純粋な興味。 

「折角だ、ダリルとやらのツラ拝んでやるか」

口の端を僅かに吊り上げながら低く呟き。彼は漆黒のコートを翻し、ファルコンに忍び込む為のポイントを探す為、飛空挺に近づいていく。
その瞳には不敵な…危険を犯す事すら楽しむギャンブラーの輝きが灯っていた。
ファルコンの内部は意外にも広さがあった。
(何故そこまで高速飛行に拘るんだ?)
足音を立てないよう、細心の注意を払いながら船内を散策したセッツァーが強く感じたのはそれだった。
セッツァーの優雅に楽しみながら空を飛ぶように、と設計されたブラックジャックとはかけ離れた構造。軽量化を測る為だろう、内部は部屋数もギリギリだったし装飾品などは全く無かった。

まさしく実用一点張りの飛空挺。

目にとって見れるこだわりは、外装にも感じた通りの徹底した。…むしろ執念すら感じる程の高速飛行の為の軽量化の後。
あまりの徹底振りに逆に感心しそうなほどだった。
「さて…船長が居るとしたら……何処かな」
セッツァーがファルコンに忍び込んでかなりたつ。
夜とは言え船員に会わないという保障は無いし、限られた空間しか無い飛空挺の中では隠れる場所も無く…見つかる可能性は高い。
目的の飛空挺は見た。いささか情けない方法だがファルコンの内部も見れた。当初の目的の中で残っているのは、噂のダリルを見る事…それが叶えば、捕まる前に逃げるだけだ。
「…残るのは…」
この扉の先…か。船内を散策し唯一残された扉に耳を当て、セッツァーは内部の様子をうかがった。と、研ぎ澄ました耳にカツカツと、固い床を歩くかすかな足音が届く。
足音が聞こえるのは彼が忍び込んだ方向から。前方はドアが一つ…それ以外に選択は無い。
セッツァーは自分が通れるギリギリの幅だけドアを開けると、音も無く部屋に忍び込んだ。
入り込んだ部屋は明かりも無く…暗かった。
(ちっ。無人じゃねえか…当てが外れたか?)
…意外に厚く出来ているドアに耳を当て、足音が遠ざかるのを確認する。まさか侵入者が居るとは思わなかったからだろう、足音は乱れることなく遠ざかっていった。
「ばれなかったか……」
ふう…とセッツァーは安堵のため息を漏らす。

「う…ん…」

僅かな衣擦れの音と共に、微かな声が聞こえたのはその時。ギクリ…と暗かった室内を見渡せば、微かに動くものが有るのが見えた。
目が慣れてきたからだろうか。先程は見えなかった室内は以外に豪奢なものだった。
調えられた机…趣味のいいグラスや酒瓶が納めれたれた棚。中央に配置されたテーブルにソファー…。
その声の持ち主はソファーにいた。
(女??)
暗闇でも解かる長い…豪奢な巻き毛。
薄物の上掛けの波打つラインは、女が優雅な肢体を持つ事を容易に想像させるものだった。
しかし何故、飛空挺の中に女が居るのか。セッツァーはいぶかしげに目をすがめる。
「だれ?」
艶やかな声だった。
「誰か居る……の?」
ゆるりと髪をかき上げて、女は問う。
(どうする?隠れるか…)
まだ目覚めて間もないからだろうか、定まらない視線の相手にセッツァーは思考をめぐらせた。今なら隠れる事も可能かもしれない。
しかし、少しでも疑問を持たれて人を呼ばれれば完全に逃げ場は無くなる。
相手は丸腰の女。卑怯だとは思うが、確実な方法は他に無い。
「静かにしてろ。そうすれば手は出さない」
素早く近づき、悲鳴をあげられない様に口を抑え、セッツァーがささやく。女は驚いたように目を開いた。
「何故飛空挺に女が居る?ダリルとやらの女か?」
「わたし…は…」
何が起こっているのか解っていないのだろうか。
言葉も出ない様子の相手に、セッツァーは嘆息する。緩めていた口を押さえつける手に、もう一度力を込めた。
悲鳴をあげようとして失敗したのだろうか、女の小さく喉がなる音が響く。
「すぐに出てく…お前は何も見なかった」
いいな?念を押すように口元を掴んだまま睨みつける。と、女は怯えたように頷いた。
突き放すように手を離すと、女は倒れるようにソファーに崩れ落ちる。舞うように広がった髪が女の表情を隠していた。
「折角だ…ダリルに会いたかったが、潮時だな」
抵抗する気力も無くした様子の相手に、セッツァーは興味を無くし、ファルコンから脱出する為にドアに向かい歩き出す。

意識は完全に女から外れていた。
だからこそ、セッツァーは気付かなかった。

髪に隠された翡翠の瞳に緑の炎が煌いた事を。口元に浮かんだ微かな笑みを……。