第5話 静寂の彼方




首筋に鈍痛が走る。
(何所かにぶつけたっけかな)
浮上する意識の中。感じた覚えの無い鈍い痛みに、セッツァーは彷徨う己の意識をかき集めた。
ソファーで寝てしまった所為で寝違えたのだろうか?
自分の体の下。ふわりとした、しかし寝るには少々固めのソファーのような感触にふと考える。
(そうか…俺はファルコンを探して…)
他には存在しないと思っていた飛空挺。己の夢の結晶…最高の翼『ブラックジャック』だが、彼の所有するブラックジャック意外にも飛空挺が存在していた事を知った。
それも『世界最速』と言われる飛空挺が、だ。
その存在を知った時から、彼は…セッツァーは興味を持った。
世界最速と呼ばれる船に…それを操るダリルという存在に。同じ空を駆ける相手を見てみたかった。
(それから…)
そしてとうとう見つけたのだ。漆黒の翼とは対象の月光を弾き返す白亜の翼を。

「何時まで寝ているつもりだ」
突然耳に届いた呆れるような声音に、セッツァーは飛び起きるように跳ね起きた。
慌てて見上げれば、自分が寝かされているソファーの横。柔らかに光沢を持つ木目の机に腰掛け、優美にカップを傾ける…その姿。
「おかげ様で…目覚めが悪くてね」
わざとらしく首筋を押さえ、睨むように視線を送ってみせる。
先程までのまどろみから一瞬で覚醒した意識は、自分が今どんな状況にいるかを理解していた。
長い豊かな金髪を無造作に流した女…最速の飛空挺ファルコンの主…ダリル。
先程までの服とは異なり、男物のズボンに上着を着込こんだ船の主は、セッツァーの様子に「おや?」とばかりに目をすがめてみせた。
「それはそれは」
随分やわな体なんだな。口元に薄く笑みを浮かべ、さらりと切り返す相手にセッツァーは心底ため息をついた。
自尊心は有る。ましてや女相手に…そういう感情も有る。
しかし…しかしだ…
「かなわねえな」
世の中には認めたくなくても認めなくてはならない『現実』というものが有るのだ。
それを認めない限り先に勧めない事も。潔さも才能のうち。
「どうした?妙に諦めが早いじゃないか」
かすかに驚いたような色を見せるダリルの声に、彼は長い銀髪が乱れるのにも構わず片手で頭をかき回す。
「頑張っても勝てねえ相手には勝てねえよ…」
今は…な。ちゃっかりと語尾に挑戦の言葉を足して、吐き捨てる様に言い切ると、こともあろうに彼女は笑い出した。
心底おかしいとでも言うように。

本当にかなわない。

晴れ渡る空のように鮮やかに響く笑い声を聞きながら、セッツァーは視線をダリルからそらした。
その日からダリルとセッツァーは行動をともにする事が多くなった、ダリルの持っていた飛空挺の知識は彼にとって有意義なものばかりで有ったし。
ブラックジャックの乗組員にとっても、先に空に飛び出したファルコンの
船員の知識はありがいものであったのだ。
いつしかブラックジャックとファルコンは知らない者がいない程、有名になっていった…。

「確かに凄い知識だった。」

飛空挺についてなら知らない事はないんじゃないかと思うほど…それほどダリルは凄かったのだ。

「そして操舵も…」

男がすくむような場面でも、決して逃げたりはしない。それどころか嬉々として先に進んで行く…そんな所が有ったのだ。
後ろなど振り向かない…そんな強さ。

「とんでもないヤツに会ってしまった。最終的には…それが正直な感想だな」

手にもったグラスの中、申し訳程度に浮かぶ氷をくるりと回してから、セッツァーは残りの琥珀色の液体を飲み干した。
空になったグラスが部屋の明かりを鈍く映し出す。
目の前の少女の、保護者代りの相手に怒られそうな部分は出来るだけ省いたけれど…随分長い時間がたっていた。
にもかかわらず、目の前の少女は飽きた様子もなくじっと自分をみつめている。
自分を映し出す…鏡のようにきらめく瞳。

「……とんでもない?」

「無鉄砲。無謀の塊…危険なんかかえりみない…無茶苦茶なヤツだったからな」
唇に白い手を当て、言葉の意味を図りかねている相手の様子に、セッツァーはそう言葉を足してやる。
「船の軽量化は危険が伴う。一歩間違えば空中分解…そのままおだぶつだからな」
人間は空から落ちりゃあ死ぬもんだ。
ダリルがそうだったように。心の中で漏らしたセッツァーのつぶやきが聞こえたとでも言うように、ティナは少し悲しげに口の端に笑みを浮かべた。
空から落ちても、自ら望まない限り彼女は死ぬ事は無い…幻獣と人間の間に生まれた少女。
彼女は自らの魔力で空すらも自由に駆ける。
他人と違うことを悲しむ少女は、それが悲しいのだろう。

「俺はお前さんがうらやましいがね」

自分の力で空を飛べる。それは彼にとって、空を求めるものにとって永遠の憧れ…。
「私はイヤだった…みんなとは違う…この『力』…」
ふい。と、ティナは視線を外にうつす。
そんな彼女の動きにあわせ。部屋の明かりが、その青い瞳に長い睫の影を落とした。
「でも…すべてあわせて私だもの」
一瞬揺らめくように金色に色を変えた瞳は、また強い光を宿してセッツァーを見つめる。
出合ったばかりの頃ならば、声もなく泣き出しただろう相手の…静かな…けれど強い声にセッツァーは小さく微笑んだ。
つられたようにティナも微笑み返す。

「さて。そろそろ部屋に戻りな。
 これ以上遅くなると、あいつらが煩いからな」

顔も声も良い上に人好きのする笑顔をうかべた、なかなか食えない性格の仲間を思い出し。
セッツァーはゆったりとしたソファーから腰を浮かせる。
「また話を聞かせてくれる?」
重い扉に手をかけてティナは、自分よりも背の高いセッツァーの瞳を覗き込む。セッツァーの瞳は夕焼けのような明るい紫で…。
その瞳にうつる色がティナは大好きだった。
「暇ならつきあってやるよ」
いいざまセッツァーはティナの頭に手を置くと、くしゃりと髪をかき混ぜる。
「セッツァーッ」
ぐしゃぐしゃになってしまった髪の毛を慌てて直しながら、ティナは怒ったように声をあげてみせた。
怒っていないのが解かるからだろう、セッツァーはもう一度髪をかきまぜようと手を上げる。そんなセッツァーにティナは逆に抱きつき…強く、強く腕に力をこめる。

「ティナ?」
「ふふ…おやすみなさい!!」
どうしたんだとセッツァーに問われる前に。まるで何も無かったかのように体を離して軽やかに廊下を走り去る。
「女は魔物とは言うがな…」
扉の前に残されたセッツァーは低く喉の奥で笑う。
自覚無ならば無邪気…自覚してやっているのなら魔性。
普段はくるくると表情を動かし。感情をあらわにする。その実,、肝心な所では何を考えているのか解からない存在。
きっと男には永遠に解からないのだろう。
そこに惹かれるのかも知れない。
ゆっくりと部屋に戻り…セッツァーは空になっていたグラスに琥珀の液体を注いだ。
来訪者が去った後の、奇妙な沈黙が部屋を満たす。普段は好んで身をおく静けさが今日はやけに重かった。

「そういや結局お前が何者かなんて…俺は知らなかったな」

何故帝国しか持ちえないはずの飛空挺を持っていたのか。
何故そこまで速く、ただひたすら速く空を駆けることにこだわってっていたのか…。
あの強さは…本当は何処からきていたのか…。
そんな事は当時は気にならなかったのだ。
ともに空を翔ける事の出来る存在…それだけでよかった。過去などどうでも良かった。
「お前は…本当は何がしたかったんだ?ダリル…?」
燃えるように輝く翡翠の瞳。見つめる視線のその先に何があったのか。
自分は親友と呼んだ相手の過去を知らない。何を求め何を信じていたのか…本当の所は何も知らないのだ。

あの時も…そうだったように。