第4話 真緋 ake




何故か解らなかった…。
あえて言えば直感というモノが働いたとしか言えない。

セッツァーが部屋から出る為に扉に手をかけようとした、その時。
無意識に体は横に飛び………。
見上げれば、先程までセッツァーが立っていた場所に何かが突き刺さっていた。
「な………」
視線の先にうつる物は、細かな装飾と宝石をあしらった柄。曇りの無い銀色の煌き…。
ギャンブラーの彼にとっては見慣れたそれは、ゲームに使う為だけに造られた。しかし実用性も兼ね備えた投げナイフだった。
「お前…」
ナイフは確実にセッツァーの首を狙って投げられたもので…。
避けられなければ命を落とさないにしても、かなり危なかっただろう事は容易に想像できる。これを投げた相手は相当な腕前だという事も…。
一瞬の間に誰かが入ってきた様子は、感じられなかった。
ならばセッツァーの背後には、無力である…と、彼が勝手に決めつけた女が一人いるだけ。
「何のつもりだ?」
睨みつけるように振り返った先には、薄物の上掛けを巻きつけた女が悠然と立っていた。彼がソファーの上に投げだした…美しい。しかし弱い女、のはずであった。
しかし、セッツァーの目に飛び込んできたのは……、

「女だからといって甘く見るとは抜けてる」

くくっ、とその女は喉を鳴らした。
嘲笑うように告げる声は笑いを含んだ低く…けれどよく通る声。
髪の色が違うわけでも、瞳の色が変わった訳でも無い。それなのに、セッツァーが怯えていると思った。
消えそうな、気の弱い女は消えうせ…変わりに存在するのは、緑の瞳に冷ややかな光を宿した女。
浮かべる表情が違う。話し方も違う。
だが、何よりも先程と圧倒的に違うのは、別人だと思わせるのは…身にまとうその雰囲気の違い。
小さな窓から、僅かに漏れる刺すような月光に照らされているというのに、目の前の相手から受ける印象は鮮やかな深紅の炎のようだった。
「それで良く今まで生き延びて来たものだ」
賭け事師だというのに。
とっさに押し殺して見せたのは感心できるが、それでも僅かな動揺を隠し切れない相手に女は笑う。
紫の瞳には僅かに揺れ…いま何が起こっているか必死に考えているのが見て取れた。
そう、自分が対峙している銀の髪の男は…世間にもまれて来たとはいえ、まだ若いのだ。一見冷ややかに見える目の前の相手が、一体どんな手を使ってこの場を乗り切るのか…。
彼女は挑発するように、更に笑みを深くする。

「さあどうする?…逃げるか?私を倒すか?」

巻きつけた布を剥がしながら、女は静かに問いかける。無造作に下ろすその手には、抜け目無く数本のナイフが握られていた。
(完全に読みが甘かった)
見てくれに騙されて、脅しておけば黙っているだろう…そう思ったのは間違いだったのだ。
セッツァーは正面で薄く微笑む相手から視線を外さず舌打ちした。
やはり…ファルコンの一番奥に有った、この部屋は。最初の読みの通りファルコンの主たる船乗りのモノだったのだ。

つまり、目の前の女こそがダリル…。

ようやくたどり着いた答えに、相手に向けた視線を更に険しくする。この女がダリルだというなら…自分はまんまと罠にかけられた事になる。
「嫌な演技をしてくれるもんだ」
「名演技だったろう?」
搾り出すような悔しそうな呟きに、返事とばかりにダリルの豪快な笑い声があたりに響く。
遊ばれているとしか思えない相手の態度に、セッツァーは心底油断した自分の迂闊さに腹を立てた。しかし後悔しても、現在置かれている状況が変わる訳がない……ここから脱出する手段を考えるしか無い。
「さあ…どうする?」
逃げるか…だがどうやって。視線は薄く微笑んだままのダリルから外さず、セッツァーはぎり…と唇を噛んだ。
自分の腕前に自信が無いわけでは無い。今までにも賭博場の用心棒相手に渡りあい、生き残って来たのだ…自分に相当な腕がある事は彼は知っていた。
しかし今回は相手が悪い。この…セッツァーの前に立ちはだかる、ダリルの腕は自分より遥かに上なのだ。
このまま切りあえば確実に負けるのは解っていた。

「どうした?反撃もできないのか?」
「なっ……」
全く気にしていなかった背後から聞こえた声に、セッツァーは言葉を失い…自らの背筋が泡立つのを感じた。
…まさしく一瞬。
セッツァーが思考を巡らせている間に、彼の前にいたはずのダリルは、隙をついて背後に回りこんだのだ。
反撃する為に振り向こうとする彼の動きは、首筋に当てられた冷たい感触にさえぎられる。
僅かな躊躇の間にセッツァーの首筋にはナイフが当てられていた。
「この状況で考え事か?」
それにしては、決断を出すのが遅いんじゃないか?呆れたような声が聞こえるのと、後頭部に鈍い衝撃が走ったのはほぼ同時。
薄れていく意識に従い倒れていく体…その傾いていく視界の端に、セッツァーは自分を見下ろしながら笑うその女を…睨みつける。

「……油断大敵だよ。ボウヤ?」

笑いを含んだ、しかし諭すような響きの呟き。
だが、床に倒れた銀髪の男の耳にその声は届いてはいなかった……。